関係者は語る 私はこうしてLearn0と関わりました
LearnOラーノ誕生の頃、どのような雰囲気だったのでしょうか?
U:LearnOの話をはじめて聞いたのは、まだ前の小さなオフィスのころの話でしたね。
K:ぼくは、このころLearnOの開発に関わっていません。サーバーの移動とかはやっていましたけど。作ることはやっていませんね。でも、スマホ版の開発はしました。
S:Mogic入社前の2011年12月に代表の山根から「eラーニングシステムをクラウドで販売してみないか?」という話があったのが最初でした。Mogicはその時まで自社サービスを展開しておらず、クライアントから「スクラッチでサービスを企画開発してほしい」という要望に対応している状況でした。
そんな中、ちょうどスマホやタブレットの普及スピードを考えつつ、21世紀は教育サービスが重要なので、最初にeラーニングじゃないかということでした。その時点で、プロトタイプを1つ作っていましたね。そこから、琉球大学のeラーニング カスタマイズの案件があって、LearnOの土台となる考えがまとまってきました。
U:琉球大学の案件は、2011年12月に山根と藤井と私で進めていました。そのころはまだLearnOという名前はついていませんでした。
デザインが生まれる時は美味しいごはんと共に!

Uさん、LearnOのデザイン制作で、コンセプトや画面設計はどのように進みましたか?
U:LearnOを作る前に、eLearning2.0というフェーズがありました。「ユーザーの使い心地にこだわり、また学習をフォローアップしてくれる機能性もあり、学習がきちんと定着するサービスを作ろう!」というコンセプトで始まりました。山根が企画書を作って、藤井がサービスを設計して、それから私にデザインの依頼がくるという流れでした。美味しいものを食べて、コンセプトを練ったのを覚えてます(笑)。
デザインは、2011年の12月くらいから作り始め、年が明けて、1月中旬にロゴが決まりました。サービス名に込められた思いは、「learn でつながる○」、LearnOというサービス名に決まり、最後のOを大文字にしました。それは「わっか」とか「リング」とかのイメージです。
当時トレンドだったフラットデザインは、欧米らしいビビッドな配色で綺麗ではありますが、質感が削ぎ落とされている分、似たようなものになりやすく飽きやすいと感じていました。山根、藤井からは、日本のわび・さび、日本らしいデザインがいいねという話があり、デザインコンセプトは、和なもの、日本的なものになりました。
日本的なデザインを表現するのに、苦労したことはありましたか?
日本の伝統色はとても表現力豊かで、バラエティに富んだ名前から物語を感じられ、四季の移ろいのように繊細な表現ができると可能性を感じていました。でも、このコンセプトを毎日使うサイトのデザインとして、「質感」と「遊び心」と「UIデザイン」の最適なバランスに落とし込むのにとても苦労しました。たくさんモックアップを作り、作ってはボツ、試行錯誤の日々でした。
苦戦はしていましたが、山根と藤井のフィードバックをもうらうのが楽しかった。私をインスパイアしようとしてくれていたのを覚えています。
1つ印象に残っているエピソードが、ある車のデザインが動物から生まれたというものです。残念ながら、何の動物だったか忘れてしまいましたが(笑)、デザインに込めるコンセプトということで参考になりました。
苦戦している中で、最終案につながるエピソードはありましたか?
2012年1月下旬に、クライアントのプロジェクトの打ち上げを兼ねて、料亭で懐石料理を食べる機会がありました。「デザインのインスピレーションをください~!!」という気持ちで料亭に行ったのを覚えています(笑)。
高級な佇まいで落ち着いた雰囲気の中で、器や料理の色が効いていました。それらの全部を吸収してアウトプットしたのが、LearnOのゴールドです。金色の質感ってむずかしいのですが、淡いグラデーションがうまく出せて、これで行こう!とデザインが決定されたのが2012年2月上旬でした。
さすが、Uさん!美味しいものからエネルギーをもらいましたね!
最初のLearnOは、ゴールド。そこにシルバーとブロンズが追加されて、3色展開からのスタートになりました。最終案が出せるまでこれというものが作れなくて苦しかったこともありましたが、デザインを作り、山根と藤井からフィードバッグをもらうのがとても楽しかったことを覚えています。毎回、新しいアイデアやひらめきを与えてもらい、打ち合わせの後は早く作りたくてウズウズしていました。
コンセプトから議論を重ねてじっくり丁寧にデザインを考える時間はとても贅沢でしたね。最終案に決まったときは、本当に気持ちよかったです!!
がんばってもがんばっても…売れない時代の苦労話
Sさん、クラウドサービスを販売しはじめた頃に、何かエピソードはありますか?

S:2012年3月、LearnOをリリースした直後に琉球大学のイベントで、広島大学のS先生をご紹介いただきました。S先生は広島の救急救命士の教育にとても熱心で、「救急救命士のために、eラーニングを使って効果的な勉強会を開きたい」という話がありました。とんとん拍子に話が進み、リリースの翌月に救急救命のセミナーでご利用いただきました。最初のLearnOのお客様になりましたね。
とても順調なすべり出しですね!
S:そうですね、ご紹介いただいたこともあり、割とスムーズに契約につながりました。ただ、ここからが大変で...その後は全く売れませんでした!本当に驚くほど売れませんでした(笑)
私に営業経験がなかったこともあり、思いつくことはいろいろやってみました。テレアポしてみたり、国際モダンホスピタルショウという展示会に出展してみたり… 初めての展示会への参加は力の入れ方が分からず、私とアルバイト2人で3日間を立ち続け、予想以上にきつかった思い出があります。がんばりましたが、全く売れませんでした。
心が折れそうになりながらも、がむしゃらに営業を続けていたら、ある日うっかり競合企業にも営業に行っていたり…(笑)いろいろやっても、とにかく全く売れませんでした(笑)
売れなくて売れなくて行きついた先は…?
売れない時期が続いてたんですね。売れなくて、どうしたんですか?
S:販売してから3ヶ月間で、一般的によく言われている方法はやりつくしました。テレアポ、イベント出展、セミナー、ダイレクトメール、突撃訪問、知り合い紹介、営業代行など。でも、売れないんですね。そこに、ある日突然山根が突拍子もないことを言い出ししました。
「売れないのはなぜだろう?日本に今、スマホやタブレットで教育をやってみたいと思う人は少なくとも2000人はいるだろう。なのに売れない。では仮に、一瞬でその2000人に会える魔法の杖があれば、売れるだろうか?」というものでした。
戸惑いましたが、僕が「売れる気はする」と答えてたら、「じゃあ、スマホで教育をしてみたい人が自らやってきてくれるようにしよう。ニュースメディアが喜ばれるかな。来月に作ってみよう」という話になりました。
そこから、急ぎ1ヶ月でサイトを作り、40本の記事を作成して、2012年9月1日にIT教育ニュースメディア「Qure」をリリースしました。ここから、なぜか営業ではなく、メディア運用をすることになったのです。
セールスしていたと思ったら、ニュースメディアの構築とは驚きの展開ですね…
S:1日に記事を5本くらい投稿して、やればやっただけ「いいね!」も増えましたが、毎日5本の記事を投稿するためにネタ探しから記事作成、投稿と忙しくなって…あの頃は大変でした。
さすがに1人では難しくなって、ライターさんを手配することになりました。でも、元記事探しが必要で…フェイスブックも投稿したり。リリースから1ヶ月後には、日本語の記事だけではなく、英語の記事を日本語に翻訳して、記事にして…
ただ、ニュースの読者は増えるけれど、LearnOへの問い合せにつながらないという時期が続きました。どうやら、ニュースの読者と問合せにつながるターゲットがずれているかもしれないという話になりました。ターゲットの再設定を考える中で、eラーニングを使ってみたいけれど、どうしたらいいのかわからなくて困っている人にアプローチすべきだということになりました。
そうして翌年3月、eラーニングの導入で困っている人に役立つコラム「eラーニングガイド」をリリースしました。たくさんの人に読まれて、いつの間にかポロポロと問い合せが来るようにはなりました。本当に売れない時期が長く続きましたね。
長い長いトンネルを抜けた先にようやく見えてきた光
長く売れない時期が続いて、ようやく浮上した!と思ったのはいつごろでしたか?
S:LearnOがリリースして、1年後ですね。ようやく医療教育関係のヴェクソンインターナショナル株式会社さまから大型の受注をいただきました!
ついにやったんですね!! その時はどんな気持ちでしたか?
S:「よかったー!」という気持ちと「やっと受注できた~、長かった~」とホッとした気持ちが入り混ざっていたのを覚えています。
ヴェクソンさまとは、今でも継続的にカスタマイズの依頼を受けていて、定期的に開発しています。最近では、OEM連携のためのパートナーシップ契約を結ぶことになり、お互いに成長し合えるいい関係を築くことができました。これからも、長いおつきあいをさせていただければと思っています。
売れない時期を乗り越えて、お客様といいおつきあいできるようになりましたね。 その後は、どうですか?
S:おかげさまで利用者が増えつづけ、今では年間20万人以上にご利用いただいています。何もやり方が分からなかった頃の苦労がウソのようで、少しずつ報われてきた気がします!
普段なかなか見せない姿 エンジニアとして、プロマネとして
Kさん、エンジニアとしてどんな関わりがありましたか?
K:ヴェクソンさまの案件から開発に関わるようになったのですが、開発期間は、3~4カ月!今では考えられないほど長い時間をかけて開発していました。
ヴェクソンさまの案件で、大変だったこと、うれしかったことはありますか?
K:大変だったところは、データベースの移行でしょうか。あまり、過去は振り返らないのであまり覚えていませんが…(笑)やっぱり、開発や移行が無事に終わって、うまくリリースできたときは、うれしかったですね。
話は今に戻って、現在のLearnOプロジェクトのミーティングの様子を聞かせてください。

K:プロジェクトマネージャーを担当して1~2年になります。エンジニア、デザイナー、ディレクター、セールスの部署から5人のメンバーがミーティングに参加しています。毎週1回MTGをしています。具体的には、各部署やクライアントからの要望を共有して、機能として追加するかしないか、追加したときに使われるのか使われないか、その機能が使いやすいかなどを話し合ったり、進捗の確認などをしています。
プロジェクトマネージャーとして意識していることはありますか?
K:特に意識するとかハンドリングしているとかはありません。やるかやらないか、追加するかしないかという場面で私が判断することはありますが、これまでの経験や勘で決めています。メンバー1人1人が「製品をよくしたい」、「使い勝手をよくしていきたい」などの意識を持っているので、やると決めたら自然にスーッと動き出す感じです。
これからLearnOは、どうなっていったらいいと思いますか?
K:特に真面目に考えたことはありせんが…(笑) LearnOは、既にeラーニングとして十分な機能があって、eラーニングの枠を超えているような気がします。広い意味で「役に立つ教育ツール」。敢えて言葉にするとしたら、クライアントから要望をもらう前にその要望が実装されているというのが理想じゃないでしょうか。
お三方、ありがとうございました!今では社内でもなかなか聞けない貴重なエピソードでした。また、サービスづくりのプロセスを教えてくださいね。(インタビュアー:広報M)